「欲望」について

お盆が終わり、急に秋モードへと変わり驚いています。
門前の掲示板の法語を更新しました。

大峯顯

「欲望というものの本質は 永遠の不満にあります」大峯顯(おおみねあきら)

欲望、つまり煩悩のひとつ「貪り」のこころです。どれほど聖人面した人でも欲望を持たない人はありません。欲しいものは異なれども、人は何かを欲し、願って日々暮らしています。
それは人間も生きているのだから仕方がない、本能のように具わっているものとして、精々それを鎮めるか、叶えさせてやるかのどちらかしかやれることはありません。

大峯顯先生はその本質、つまり根っこには私たちが「不満」の状態に沈み込んでいることがあると仰っています。言い方をかえれば、私はこれまで一度たりとも本当の満足というものを経験したことがないということです。

本当の満足とは何でしょう?
どんな素晴らしいものも、どれほど恋い焦がれたものだとしても、私をそれで満足させることはできないということです。今の私に「何かをプラスする」ことで、満足な状態に近づけられると考える限り、そんな「何か」は無いということを、王族の生活を棄てて出家をされたお釈迦樣は身をもって教えてくださっています。

「永遠の不満」とは、今の自分に満足出来ない状態のことであります。私が私でよかったという、誰と比較するわけでもなく、何と比べるわけでもなく、今ここに私が在るという事実に手が合わさることが「本当の満足」ということでしょう。

それにはどうしたらよいのでしょうか?
阿弥陀如来は「そのまま救うぞ」と誓いを立てられた仏さまです。阿弥陀さまはこの私に「もっと頑張れ」「もうちょっと立派になれ」とは仰いません。なぜなら、そんな期待をしても決して応えられる私ではないということを私以上にご存じだからです。

「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えることが、阿弥陀さまのお心に触れることであり、この私が永遠なる不満から救い出していただける唯一の道であります。

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