恐山その二
恐山というところ。
そこにお寺があることすら知らなかった私です。
手前から伸びる参道の突き当たりの大きな屋根が「開山堂」こちらで朝事に参拝しました。ご覧のように早朝より晴天に恵まれ、拍子抜けするほど明るい印象でした。ところがその後、菩提寺の本堂にお参りしますとその印象は全く違うものでした。こちらが本堂です。内部は撮影禁止でしたので写真はありません。中に入りますとお堂の中それも一段高くなった両脇の余間におびただしい数の洋服、写真、靴、鞄・・・などなどがびっしりと下がっていたり、置いてあったり、これらは全て遺品。ご遺族がここ恐山へ納めに来られるそうです。特に印象的だったのがケースに収まった日本人形がいくつも並んでいたこと、その日本人形が皆「白無垢」、つまり花嫁衣装をまとっていました。中には男性の顔写真が添えられているものもあり、お察しのとおりこれらは「冥婚」といって、若くして未婚のまま亡くなっていった息子にあの世で結婚を遂げて欲しいという、親の願いがこうした人形を作らせ恐山へと納めに来させているのです。こうした思いの詰まった遺品に囲まれていると段々と胸が苦しくなってきました。親として、子に先立たれる苦しみは断腸の思いなどという言葉では足らぬほどであろうと思います。そんな言葉にもならぬ、うめきのような情念がお堂の空間を満たしているかのようでした。
住職の南直哉師が境内を案内してくださいました。これは有名な賽の河原と呼ばれているところです。本当にごつごつとした岩、石だらけです。誰が積んだのかいくつもの石積が至る所に作られています。この石ひとつひとつに悲しみ苦しみが込められているのでしょう。
こちらは極楽と呼ばれる「宇曽利山湖(うそりやまこ)」の湖畔。この美しい湖は湖水が酸性が強いのでウグイのみ棲息しているとのこと。ここに写る湖畔には大祭の時には、横一列に何人もの遺族が湖面に向かって佇み、やがて誰からとも無く亡くなった人を大きな声で呼ぶそうなのです。呼べばその人の返事が返ってくるという言い伝えがあるそうで、「おとうさーん」「おかあさーん」「あなたー」「○○ちゃーん」と皆が一斉に涙を流しながら呼び続ける光景は想像するだけで胸が詰まるような思いです。
「供養は死者の実在化です」
これは南師の言葉です。ここ恐山には「愛別離苦(あいべつりく)」を主とした人間の根本的な苦しみが、「供養」という形でもって受け止める様々な手立てがありました。思いでの品を納めに来る。亡き子を想い石を積む。小さなお地蔵さんを祀り亡き人を託す。生きていた証を求めてその名を呼ぶ。あの世での暮らしをいたわり手ぬぐいや草履を用意して温泉に招く。人は亡き人と様々な手立てでもって、関わりを持とうと恐山へと足を運ぶ。それは東北地方に限らず日本各地から故人の姿を求めて一途にやって来られる。