国島征ニ展(ギャラリーサンセリテ)
「国島征二展」のご案内 (あと5日間しかありません。)
ただ今、向山のギャラリーサンセリテにて国島征二さんの個展が開催されています。(Am11:00〜Pm6:00)国島さんは私が名古屋芸術大学の学生だった時にやってきた風変わりな先生(講師か教授だったかは忘れました)です。芸大の先生など風変わりな人ばかりなのですが、その中でも何か違う雰囲気を醸していました。
他の先生方が私たちの作品について構図やら、色彩やらについて意見してくださるのに対して、国島さんは青臭いヒヨッコの我々に現在活躍中の作家をスライド映像で紹介しながら、作家としてやってゆくために必要なプロ意識や自己プロデュース能力などについて懇々と説いてくださったと記憶しています。
その時はまだ国島さんがアメリカを拠点として活躍しているアーティストであることに全く気づいていなかった。なんて勿体ないことだったのかと知るのは、それから何年も後のことである。
私は一度、ロスアンゼルスの国島さんのアトリエ兼住居にお邪魔したことがある。大きな煉瓦造りの倉庫に入り、荷上げ用のエレベーターで上がると、広々とした空間を間仕切ったアトリエがあった。高い天井、壁の一部は外壁の煉瓦積みがそのまま。窓の向こうには西海岸の青い空。その中で国島さんは寝起きし、制作をしている。なんて格好いいんだろう、と惚れ惚れした。
その時に聞かせてもらったことに、「毎日、朝起きたら必ず、絵筆を握る。それは描きたいものがあるからとか、描かないといけない依頼があるからではなく、描くことを自分に課しているから。我が身を紙の前に置き、絵筆を握る。それをし続けることが大事なんだ」ということ。
あれから30年以上が過ぎた今も、国島さんはその日課を続けているという。毎日、毎日、作品がこの世に生み出されている。そうして生み出された作品がここにも並んでいる。いくつもの作品の制作年を見て驚いた。「2020年」「2021年」と記されている。国島さんは現在84歳と聞く。作品を生み出すエネルギーだけではなく、永年変わらぬ洗練された作風と共に、新たなモチーフを取り込んでゆく瑞々しさを備えている。
ひとつ思い出したこと。ずっと以前に名古屋の桜画廊の女性オーナーが新聞で国島征二について語っていた。伊勢湾台風で国島さんの住まいが倒壊してしまった。しばらくして(若き日の国島さん)がやって来て。「あちこちから金を借りてアトリエを建てたよ」という。住む所より先に制作の場を優先するとは。その時、その女性オーナーは「この青年は本物の作家だ」と思ったという。オーナー女史のなんという慧眼!だからこそ「名古屋に桜画廊あり」と言われた企画画廊がその後アートシーンを牽引するほどの存在となり得たのでしょう。
「作ること」と「生きること」が一つになっている人とは、まさに国島征二のことであろう。今回の展覧会が決して回顧ではなく、新作展であることが決して当たり前でないことを忘れてはいけない。
ここには石もあり、金属もあり、ガラスもあり、木も紙もあり、樹脂があり、タバコの包み紙、雑誌の1ページ、切り抜き文字、画材・・・。あらゆるものが、どれひとつとも軽んじられることなく、愛おしさでもって作品とされている。和食の調理方法のひとつに「和物(あえもの)」というものがありますが、これは様々な素材をそのまま活かし、他の素材と和することで一層その魅力が増すものであります。国島さんの作品を見ていると、何かそうした「まず素材ありき」という一流の調理人の謙虚さのようなものを感じます。
今はアメリカから日本に戻ってこられ、山奥に奥様と二人で暮らしていらっしゃるのですが、そんな国島さんが先日テレビに登場された。それは現代美術作家としてではなく、山奥に奇抜な家に風変わりな人が暮らしていることに注目されたのです。番組名は「ポツンと一軒家」今や中高年一番人気の番組です。そこで国島さんは斜めに傾けて建てられた建物とともに、世界的芸術家として紹介されました。(実は何度もオファーがあったものの、断り続けていたが、とうとう押し切られ出演することとなったと聞く)
山奥の生活の楽しみ方から、暮らしぶりの洒脱さ、あるいは交友関係が国際的であること、そしてサービス精神旺盛な国島さんらしく自身の作品についても非常に気安く丁寧に解説してくださっていた。もしこれがNHKの日曜美術館だったとしたら見せてはもらえなかったであろう国島さんらしい一面だったと思います。こうした人間的魅力がそのまま作品の魅力となっていることを是非会場でリアルに感じてみませんか。
ギャラリーサンセリテの情報はこちら http://www.sincerite.info/