ふりかえり「晩翠展」
15日・16日両日の「晩翠展」を終えました。二日間で170名ほどの方々にご覧いただきました。作品数は全部で74点。その内ほとんどがお檀家さんなどからお借りしたものです。晩翠没後100年記念ということですから、これらの作品も百余年ぶりの里帰りとなったようです。
当初は正太寺に伝わる晩翠の作品にほんの数点お借りしたものを足して並べるくらいで良いと考えていました。それでも折角だからと思い、一通り所蔵していらっしゃいそうなお宅に声をかけたところ、予想を超える数の晩翠の作品がありました。虫食いや日焼けしてしまっているものもありましたが、おおむね大切にしてくださっていることにも驚かされました。
今回、晩翠の作品をこれほどの数を見比べられる機会となったことは、まさに皆さんに大切にしていただいたからに他なりません。そしてその理由が晩翠の作品そのものの魅力であり、晩翠という人の誠実さや優しさ、そして教養の深さなどにあるからと気づかせていただきました。
まず何より生涯に描いたその数、膨大であるということ。いくら田舎の小さなお寺であったとしても、絵だけ描いて暮らせるはずもなく、さまざまな作務をきちんとこなしながら絵を描き、その絵が人の手に渡ればそれも略図と共に記録するという丁寧で几帳面なことを生涯続けられています。多分生活全般においてそのような真面目さで応じていたと思います。
晩翠の作品に鳥や魚を描いたものが多数あり、一つの特徴となっております。スズメやツバメ、ヒヨドリやオナガなどその特徴を端的に描いわけていることと、そこに生き物に対する親しみや愛情を持って観察している様子までもが伝わってくるようです。
正太寺というお寺にとって晩翠(本名・挺秀)は、本堂焼失という危機を乗り越え、その後の正太寺を支える求心力の源となった人と言えるでしょう。言い換えれば晩翠がいなければ現在の大きさの本堂はとても建てられなかったでしょうし、地域より一目置かれ、多くの人に支えていただける正太寺とはならなかったと思います。
晩翠没後100年に住職として巡りあわせた私、悟道は今回の展覧会でもって完了するのではなく。これから晩翠について作品の保存管理だけではなく、翁の残した手紙や文章(他人に見せるべからずという仏教論文のような小冊子も出てきました)を解読、文責しなくてはならないように感じております。
筆で書かれた文字は達筆でまず読めない上に、大事なことは漢文で書かれていて、チンプンカンプンなんです。こんな私に何ができるだろうかと心許ないのでありますが、やれる事だけ少しづつ手掛けて参ろうと思います。