私にとっての住職道とは

住職道

 先日、高田本山にて「布教伝道研修講座」が開催されました。これは教学院という組織が(僧侶の育成)をテーマとして行っている活動の一環です。今回は「私にとっての住職道とは」という講題で大谷大学講師・藤元雅文先生に講義をお願いしました。

「住職道」という言葉は大谷派の先達金子大榮師が派内教師育成研修に際して語られていたものを小冊子にまとめられたもの。そもそも「住職」とは「住持職」ともいい「寺に住して法を護持するもの」という意味とのこと。これを藤元先生は「宗門を支えているのは教えである。そのことを身をもって生き方に示すのが住職である」と仰います。(なるほど・・)

中国の善導大師の言葉「自信教人信」(みづから信じ人を教へて信ぜしむること)に依りながら、親鸞聖人が『観無量寿経』『涅槃経』でその救いが証される阿闍世(アジャセ)に深く訪ねていかれたのはどうしてだろうかと話を進められます。


父を殺すという罪を犯し、その罪によって苦しむ阿闍世が救われてゆくのですが、罪には重軽の差こそあれ、「取り返しのつかないこと」とに違いありません。つまり罪とは消えるものではないのです。その罪を自らが担ってゆける生き方というものが「自信」ということなのでしょう。
ひとり一人が教えと向き合い、教えとともに生きてゆく、その一員として住職という道を歩んでゆくことと聞いて参りました。

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