おおこうどばんすい
大河戸晩翠(1845~1921)

真宗高田派正太寺(牛川町字西側)十一世住職。
本名は挺秀、晩翠は翁の号である。晩翠翁は弘化二年に真宗高田派願成寺(現東新町)に四男として生まれ、安政二年11歳の時に正太寺に養子として迎えられ、以来仏典を松山忍成(まつやまにんじょう)に、漢学を関根痴堂(せきねちどう)、小野湖山(おのこざん)等に学ぶ。また幼少より画を好み、稲田文笠(いなだぶんりゅう)の門に入り梅笠と号した。その後、渡辺小華(わたなべしょうか)(渡辺崋山の次男)に師事し、門下の第一人者となる。明治十五年に小華が上京して豊橋を去ると、翌年より大分県日田市の平野五岳(ひらのごがく)に学んだ。
晩翠は生涯清廉謹直であり、清貧に甘んじ、権門に媚びず、名利に動かず、篤き信仰の僧であったと聞く。
大正10年(1921年)10月18日、77歳にて往生する。

現在、正太寺には晩翠翁の顕彰碑が建っている。高さ約2メートルの立派な鞍馬石である。碑表に五言絶句、碑陰には辞世の句がそれぞれ翁の真筆で刻まれている。

碑表 庵中無一物 あんちゅうむいちもつ  窓外有千山 そうがいゆうせんざん
寒衲心安楽 かんのりしんあんらく  宵々不掩関 しょうしょうふえんかん
碑陰 人の世を済ふべき身の世の人に
すくわれてのみ世をわたりけり